原子的に安定していない銀は、金やプラチナと異なり化学変化を起こしやすく、すぐに変色します。
銀は高い温度に加熱しなければ、酸化すると言われている銀も通常の状態では酸化しません。
銀の変色のほとんどは硫化ですが、まれに塩化反応も起こります。空気中の酸素や硫黄化合物に化学反応をおこし酸化銀、硫化銀になって黒く変色します。
銀の持つ高級感が、ヨーロッパの貴族や富裕層の食器材料として昔から使われる一方、化学変化し変色するという性質を利用して、毒物となるヒ素や硫黄酸化物による毒殺を防ぐという目的があったようです。
そうして、金と同じく、銀は古来より貨幣として広く流通しました。
現在知られている最古の銀製品は紀元前3000年前のもので、銀の歴史はとても古いものです。
貴金属細工誕生の地とされるトロイア、メソポタミア、フェニキア、カッパドキア等のシュメール人の墓から発見されました。
現代のトルコあたりのアナトリア周辺の鉱山から最初の銀が採掘されました。
紀元前2500年頃にカルデア人は、他の鉱石から銀を抽出する技術を持った最初の文明でした。
北アメリカの文化および南部は紀元前1000年頃、高度な銀加工技術を使用していました。
紀元前900年頃、この時より1000年の間アテネ近くのラリウム鉱山は、銀を生産する有数の鉱山でした。
紀元前200年頃、アジアでは中国から朝鮮への移民が、彼らに銀製造技術を伝えました。
日本へはその後、朝鮮半島から広がりましたが、銀の普及は日本ではあまり進みませんでした。
その頃、貨幣や家庭で様々な用途にローマ人は銀を使用していました。
インドのインダス文明(紀元1世紀頃)では、銀を飲み物を注ぐ為の容器として初めて使いました。
ロンドンでは3世紀にローマ帝国の貨幣が鋳造され、中国において銀製造技術は6世紀頃、非常に重要になりました。
これ以前の中国では、銀製品は非常に貴重な品でした。
そして760年頃からイギリスでは、銀ペニー(のちの鋳貨の基礎)が連続的に使用されるようになりました。
高度な銀製造技術は9世紀になって、オアハカ地域(メキシコ)に伝えられたと言われています。
中国では10世紀年頃、銀製造技術が一般的になりました。
イングランド王ウイリアム1世(ノルマン朝初代)は、純度925/1000銀を本位として採用し、ロンドン塔に造幣所を設けました。
これが今日の、通称925銀として知られるようになったもの「スターリングシルバー」の始まりです。
ヘンリー2世の時代に銀貨を鋳造していた『スターリング家』がその名の由来とも言われています。
ちなみに、日本の100円硬貨は昭和の中頃まで銀貨でした。
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