


プラチナは銀のような白さとは違い、色調は白系ですが渋みのあるやや黒っぽい独特の白さが特徴です。
プラチナは強い耐酸性があり、金よりも安定している金属です。どんな宝石でも相性が良いその白い輝きは、特にダイヤモンドとの相性は抜群で、小さな爪でもしっかり石留めができるので、さまざまな宝石をセットすることができます。
ちなみに、日本と韓国はプラチナを好んで使うと言われています。理由は、高度な加工技術が必要であるからです。
さらに、古い歴史から非常に安定した価値を国際的に世界中で認められている金に対し、工業用の用途でしかプラチナは価値を認められていないからだと考えられています。
今から20億年前の隕石の衝突によってプラチナ鉱床が初めて地球に出現し、誕生したといわれています。
古代エジプト人は紀元前1200年頃、プラチナの混ざった金をヌビア王国から輸入し、アクセサリーやジュエリーを制作していました。これが人類の歴史に登場した最も古いプラチナのジュエリーです。
第25王朝テーベ王の娘で高位神官だったシェペヌペットⅠ世は紀元前700年頃、金とプラチナの象形文字で飾られた巨大な石棺に埋葬され、最古のプラチナ製品で現存する「テーベの小箱」と呼ばれる化粧入れも墓から出土しています。
南米プレ・インカ帝国では紀元前100年頃、高度な治金、精錬、鍛造の技術を使って金とプラチナで耳輪や鼻輪、宝飾品などを作っていましたが、その後、人類の歴史からプラチナは2000年近くもの間姿を消します。
スペインの征服者たちは南米への侵略の際(1590年頃)、当時ヨーロッパで珍重されていた銀と勘違いして大量に略奪しましたが、融点が高いプラチナは銀用の加工設備では溶かすことができなかったため、大量に廃棄されてしまいました。
ヨーロッパの錬金術が発達した1700年代、プラチナが脚光を浴び、プラチナに鉛を混ぜることで金のように見えるため錬金術師に珍重されました。
1751年、プラチナが貴金属として、テオピル・シェファー(スウェーデン科学者)によって学術的に分類されました。
1780年代、「プラチナは王にのみふさわしい貴金属である」と宣言したフランス国王のルイ16世によって、ようやく真の価値を認められました。
19世紀初頭、歴史に埋もれてきたプラチナを宝石商であるルイ・カルティエは初めてジェエリーに導入し、見事なまでに知られざる魅力のすべてを引き出しました。
英国国王エドワード7世は、プラチナの特性を活かしダイヤモンドの輝きを際立たせたこの作品を見てカルティエのことを「宝石商の王にして王の宝石商」と絶賛しました。
結婚指輪等のブライダルジュエリーでは「ダイヤモンドは永遠の輝き」と、ともにプラチナも永遠の愛の象徴つして現在では女性を魅了しつづけています。
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